ハイムひまわり放火死傷事件の謎!!

 2008年6月2日(月)午前2時25分ごろ、神奈川県下で最も規模の大きい社会福祉法人『聖音会綾瀬ホーム』運営の知的障害者グループホーム「ハイムひまわり」から出火し、木造2階建ての施設と隣地の住宅一棟を全焼するという事件が起こりました。

事件現場の窓

 当時ハイムでは、消防法で規定された自動火災報知機やスプリンクラーなどがなく、ボヤに気づいた隣家住民や志村さん本人が警察や消防に通報しましたが、消防車は到着したものの著しく放水が遅れたため燃え広がり、火災発生5時間後の午前7時半ごろようやく鎮火。
鎮火後のハイムでは、男性2名、女性1名の遺体が発見され、周辺住宅一棟全焼(二階建て、電線・屋内配線経由の延焼)、他3棟部分延焼するという大惨事になってしまいました。
 その日のうちに、志村桂子さんが放火を自供、1年8ヶ月後の2010年1月28日の横浜地裁判決により懲役12年の判決、2月13日控訴せず刑が確定し、3月上旬に栃木刑務所に収監され今日に至ります。

ですが、この事件には沢山の謎が残ります。実はこの施設は志村桂子さん所有であり、この施設を作るきっかけも、ハイムひまわりの運営をしていた聖音会理事である佐竹敬夫妻サイドからのたっての願いを受け入れて300坪程度の土地を持っていた志村さんが、その一部に建設したものでした。また不思議なのは、志村桂子さんは、火災が起きた5日後にはブラジルへボランティア活動に向かう予定で航空券は購入済み、支援物資も2ヵ月前の4月には発送(船便)済みでした。

なぜ志村桂子さんがこの施設を放火しなければならなかったのでしょうか・・・。
 家族も友人も知人も、当時の情報を紐解けば解くほど、志村桂子さんが放火したとは思えず、冤罪であると信じています。
 わたしたちは、高齢になった志村桂子さんを、1日でも早く助け出すため、日々情報を発信していきます。

6月7日発のデルタ航空104便
アトランタ経由サンパウロ行き
航空券の4月3日付け請求書。
起訴3日前の2008年9月30日付け
サンパウロ「憩いの園」発行の支援物資受領書。
海苔、椎茸、干瓢、団扇(うちわ)記載。

「火災発生4時間前に職員が異常なしと確認した施設が全焼した」と報じる翌日の記事。