志村桂子さんはこんな人。

社会奉仕活動に身をささげた一生

 
 志村桂子さんは、両親を早く亡くしたことから家族への愛情が深く、また子供の頃から自分よりも人のために生きるような人でした。そんな桂子さんは、いつからかキリスト教への信仰心を深め、人のために生きるために生まれてきたように、慈善事業に力を入れるようになり、そしてハイム建設・運営に力を注ぎました。

 

年間365日。毎日がボランティア活動の日々。

 桂子さんは1990年頃より、カンボジアのカンダル州、ボンテンダイ州、クソン州、トロベアン州、アンポラ村、そしてブラジルのサンパウロ、フィリピンのマニラ、セブ島など、交流のある世界の国々で慈善事業をおこなっていました。
 特に、今回事件の重要証拠品となった大量のマッチは、東南アジア文化支援プロジェクト(CAPSEA)に寄付しており、志村桂子さんが力を入れて支援してきた国の活動の一部でもあったのです。

海外でのボランティア活動。

 志村桂子さんは、東南アジア文化支援プロジェクトや南米、ブラジルなど海外ボランティア活動に精力的に従事してきました。
こちらの写真は、志村桂子さんが行なってきた
海外での活動の一部です。

鎌倉国際交流会でカンボジア駐日大使と共に
カンボジアで支援していた施設付近の様子
バンガダンのローソク工場での活動
海外ボランティア活動用に現地に送った支援物資(ブラジルマリンガ愛光園)
ボランティア仲間と、仲間に送った志村さんの手紙