なぜ、ハイムひまわり放火死傷事件は起こったのか!!
本当の放火犯がいるのではないか?
志村桂子さんが放火犯ではないのなら・・・。

【可能性1】
「計画的火事場泥棒」を仕組んだ者がいる?
志村桂子さんの資産は狙われた?

 偽善+貪瞋痴。(曹洞宗懺悔文、皆由無始貪瞋痴より引用)
 貪(ドン)…むさぼり 瞋(シン)…怨恨の情を含むいかり 
  痴(チ)…病的なおろかさ、くるい。

【可能性2】 
「容疑者となった志村さんを救える立場の人」に裏切られた。原因は嫉妬(しっと)?1,400余通の嘆願書も裁判で全く無視されている。

 社会福祉法人 聖音会運営の知的障害者ケアホーム「ハイムひまわり」は、志村桂子さんが所有する施設でした。志村さんは、20代前半、両親が相次いで亡くなったことで、自宅の土地 約1,000平方メートルを相続。その土地を使い、行く場所のない人々のために個人で融資を受け、ハイムひまわりを建設しました。
 公金に頼らず、自分自身で銀行融資を受けて建てた施設を、放火するでしょうか?生き甲斐、ライフワークとまで全精力を注ぎつづけている障害者ケアを忘れる程「カッ」とする人などいるでしょうか?そんな人は、どんな人でしょうか。
 放火事件の犯人、それは果たして、本当に志村桂子さんなのでしょうか。
 犯人は他にいるのではないか?
わたし達は、そう考えています。

 

志村桂子さんは根っからの利他*の人。

昭和19年、綾瀬市寺尾西の貧乏農家生まれ、昭和40年(1965年)8月21歳の時に母を、その2年後父を亡くしました。桂子さんには、二人の妹弟と約一町歩の家屋敷、田畑、数頭の豚に約2000羽の鶏が残され、それらがすべて23歳の彼女の双肩にかかってきました。
 その責務は、結婚後3人の子供を産み、寺尾北(ハイムひまわりのあった土地)の新居に、引っ越すまで続きました。
 桂子さんの弟・信一郎さんは、「姉は、笠間家の家長として泣き言を一切言わず、いつも楽しそうに、得意気に、コメ作り、野菜作り、家事をしていました。」と語ります。

「綾瀬市の土地需要が急増した時代には、女ながら未成年の弟に代わり土地取引なども2~3件こなしていました。そして、市内に住む、自分同様両親を失った同世代の女性に対しては『両親を失った女性の会』を作ろうとしたこともありました。」桂子さんは、なぜここまで人のために活動をしていたのでしょうか。
それは、大正2年生まれの母親の影響だと信一郎さんは続けます。

 「母は姉に、10歳頃まで報恩寺の子供会に通わせて、のちには教会日曜学校(大塚平安教会)に通わせ、華道、民謡舞踊、洋裁、和裁や編物を習わせていました。物質的、金銭的に貧しい、とても人の面倒を見られない立場であるにも拘わらず、物乞いの人が来ると、サツマイモのてんぷらや煮物、古漬け、味噌のおにぎりなどを分け、出入りの豚、鶏飼料の配達の若者や、貸家に住む地方出身の会社勤め独身者、福井の金物行商の若者などに慕われてたのです。『周りの人が幸せになる事にのみ自分の幸せを見出す、それも筋金入りの利他※の人』と言えるでしょう。」。
 「母の口ぐせがありました。 ―イシナシ(石梨)は食えるがズツナシは食えない。(サボるな、怠けるな)― 石橋は叩いて渡れとよく言われるが、この次が肝心で叩いたら必ず渡るべしと続くのだ。(決めた事はやり通せ)」小学校しか出ていない母親ですが、二宮尊徳や、論語などをかなり深読みしていた人の強い影響を受けていたようです。 子供のころ、母に一枚の写真を見せられたことがあります。『この人と結婚したかったけれど戦争で死んでしまったのヨ。』真面目な旧制高校の学生のようでした。きっと、その人の影響が大きかったのかもしれません。」
 そのような母親に育てられ、その精神性を引き継いだ志村桂子さんは戦後の民主主義社会からは隠れた本物の「筋金入りの利他の人」なのでしょう。現代社会をリードする「新制大学の偏差値秀才の人たち、およびその影響を強く受ける人たちとは、「話が通じない」のは当たり前の話でしょう。

*利他:他人に利益を与えること。自分の事よりも他人の幸福を願うこと。

「綾瀬ホーム」パワハラ被害、精神科への入院。

 綾瀬ホーム創設者夫妻とは、近くの大塚平安教会を通して知り合いました。そして、同ホームへ介護ボランティアに通い始め、その後同夫妻からの勧めもありハイムひまわりを自分の土地1000m²に自費建設することを決めました。しかしながら、実際建設にかかるとほぼ全ての面で思惑が外れ、夫妻への不信感が大きくなり、また、確執が高まっていきました。「佐竹さんは社会事業家ではなく、社会事業屋なんだって!!」「宗教とは何ナンダ!!(怒) 」温厚な志村さんが精神科に通院する前に、親しい人によく語っていたことです。家族弟妹は皆ハイムの建設には批判的であったため相談もできず、一人悩み精神科へ通院も始まり二度も相模原北里病院に入院しています。
 火災事故発生2ヶ月前の2008年4月に「平成21年(2009年)3月末日綾瀬ホーム明け渡し」が約束されました。精神的病いの原因が吹き飛び、志村桂子さんは傍目にも快活で元気になっていきました。

ヘビースモーカーの入居者と、ピンクのパジャマを着た謎の人物。そして消防の不手際?

 この火災は、なぜ人の命を奪う放火事件になってしまったのでしょうか。
実は、この施設には、ヘビースモーカーの入居者が2人おり、道路へのポイ捨ては勿論火のついたタバコを隣家に投げるなどの行為が頻繁に起きていました。また、そのうちの一人は、タバコの吸い殻を自室の押し入れにブリキ缶にまとめて入れて隠す癖も持っていたのです。

まず、タバコの火の不始末が原因と考えられそうですが、その件は不問に付されています。
また出火元の物置の近くでは、隣家の女性が、台所流し台の窓をとおして事故の直前ピンク色の、パジャマのようなものを着た女性を目撃しています。ですが、志村さんの所持品からはそのような派手な衣料は見つかっていません。

そして、この火災にはもう一つの大きな問題が隠れています。
通報から数分以内に消防車が到着しました。そして①綾瀬署消防車が最も近い消火栓に着いた際すでにそこに座間市の消防分団がホースをつないでいた。それをはずして綾瀬署の正規消防車につなぎ替えた。②その放水が火元に届かなかった。③その間に一旦避難していた松本さんはペットの亀を取りにハイム建屋に入り3人目の犠牲者となった。という経緯を多くの人が見ています。水が届くまで何十分、何時間かかったのか今でも分かっていません。

苛烈を極めた取調べ?人権侵害?

  志村桂子さんは、参考人として連行された8日後、藤沢病院に入院しています。(家族と妹弟が無理やり入院させたものです。)そして、その家族・親族の立会いのないまま13日、病室で逮捕、拘留。その4ヶ月後の10月22日未明、瀕死状態(敗血症)で横浜警友病院ICUに担ぎ込まれ、12日後一般病棟へ移され、11月27日リハビリの為61日間仮釈放。再拘留は2009年1月、そして2010年1月28日有罪、懲役12年の判決。控訴意志が弁護士、裁判官に届かず刑が確定しました。

 高卒、64歳、初老の女性が放火殺人容疑をかけられ懲役12年で収監されるまで、「2008年6月2日から2010年2月10日まで」の1年8ヶ月間かかった事に、何か異様さを感じませんか。(うちリハビリの為の仮釈放は2ヶ月間)
 桂子さんは「どんな悪い事をしたと言うのでしょうか?」「天網恢恢疎にして漏らさず」がいつも思い起こされます。