ハイムひまわり放火焼死事件秘話 Ⅰ – はじめに

1.志村桂子さん自筆の上申書

 志村さんが「瀕死の敗血症」から生還し、2カ月のリハビリ後「明日は再収監される」という前日の夕方、志村さんと妹さん、弟さんの3人が話し合った結果を、本人が書いたものです。
  
日 時:平成21年1月9日
場 所:ソフィア横浜病院
同席者:笠間はる代(妹)、 笠間信一郎(弟)

 これをご覧頂けば、次項に述べます「切れちゃった」「警察は全くいう事を聞いてくれない。」の彼女らしくない言葉の意味がよく理解できると思います。また、言い回しや言葉の使い方が妹弟に引き出された言葉遣いになっていますが、その時の精神状態がよく表れていると思われますので、筆跡にご注目下さい。彼女の本来の筆跡であり、捜査陣の前で書いたとされる多くの上申書と比べ全く比較にならないものです。
 写真コピーでは読みづらいため、全文を転記いたします。(行頭の番号、句読点、改行、誤字は原本の侭です。)
 また、この上申書は翌日「本人が取り下げた」との連絡が入ったそうですから、検察上層部は、存在すら知らないものと思われます。


■志村桂子さんの上申書全文転記

私の気持ちについて

①七輪に火をつけた記憶は全くない
②炭を新聞紙の上に置いたかどうか分からない、(記憶不明瞭)
③新西さんの通報で、まず喫煙者二人が失敗したと直感した
④出火元が物置だという意識はあった(煙の具合を廊下の管理人室から首を出して見た記憶がある)
 注)管理人室カラ廊下ヘ首ヲ出シテ煙ノ具合ヲ見タ記憶ガアル
⑤それにもかかわらず自分が七輪を使ったとは頭に浮かばなかった
⑥出火元が物置だから自分が責任をとるべきだと思った
⑦喫煙者を犯人扱いされることは耐えられず彼らをかばう気持ちで一杯でした。(自分が身替わりになろう)
⑧建物が全焼する犠牲者が出る、類焼させることなど全く考えられなかった。
⑨角田さんは70年安保斗争の時、(原宿で)過激派とまちがえられ警察の厳しい取り調べを受けたため、それが原因で精神障害を越こしたとの経暦を知っていたのでまた彼をそのような状態にする事は何が何でもさせてはならないと思う気持ちが強かった。(彼はその後20年ぐらい精神病院生活をしてその後綾瀬ホームへ来た人でした。)
⑩何故今になって気持ちが変わったのか
⑴ソフィアに移ってきて落ちつきを取り戻しゆっくり考えられるようになりました今まで6/2以来 常に追い込まれた閉じ込められたという精神状態でしたが 注)閉ガ略字(11/27以来)自由で落ちついた気分でいます、
⑵たくさんの調書を読んでみて犠牲者の遺族、綾瀬ホーム、一部の近隣の人々の私に対する感情がひどいものであること例えば絶対ゆるせない、極刑でなければ許せない、等自分の入居者への思自分のやって来た事への結果がこれかとの痛恨の思いをおさえられなくなりました。これならこれ以上庇うのはむなしいと思 注)庇ガヤマイダレ うようになりました。

志村さんの気持ち
志村桂子さん直筆の上申書

平成21年1月9日 ソフィア横浜 志 村 桂 子

2.「私、キレちゃったヨ」※

 この言葉は、6月2日夕方参考人として初めて大和警察署に連行され、取り調べを受け、日付が変わる寸前に自白の上申書を強制され、弟さん宅に送り返されたその時の弟さんへの第一声です。照れ笑いに近い、とても殺人を認めたというような表情で無かったという。
 前述⒈ 項の自筆の「私の気持ちについて」をお読みいただければ、この楽観的とも思える理由が容易に理解できると思われます。「桂子さんは、火災の結果を全く知らない。ボヤ程度であって、建物被害も軽度、入居者はかすり傷程度で健在だろうと思っていた。」
 しかし、捜査官は「死者3名、一人軽傷、の現住建造物放火殺人の犯行を自白したと理解したのでしょう。」 これが、早速大和警察署長から県警幹部へ、そして警視庁へ伝わり、大事件になってしまったものと理解されております。

 この「ボタンの掛け違い」が最後まで修正されなかった」ことが、裁判が長引いた原因、検察、警察、裁判所はいくら財政的、金銭的無駄遣いをしたか?国や県はいくら?そして綾瀬市、綾瀬市消防関係者は、いくら無駄遣いをさせられたのでしょうか?
 こういう時にこそ、財務省や会計検査院には、是非パソコンをたたいてもらいたいものです。今のAI技術なら一分もかからないのではないかと思います。

※彼女は、『火災発生時、キレたから実際に火をつけた』という訳ではありません。最初の尋問を受けた時にキレたのです。その時彼女は、自分が認めないと前述する角田さんに捜査が及ぶことを防ぎたかったのです。心は切れていなかったと理解すべきです。

3.「刑事さんたちは、全然話を聞いてくれないんだヨ。
  一人だけ聞いてくれた人はいるけど。」  

 桂子さんが、端から口癖のように言っていた言葉です。
 彼女は、警察、検察との対話では、全く意思疎通が出来ていないという事を訴え続けていたという事でしょう。この状態が、1年半後の「懲役12年の判決」、そして「控訴取り下げ」まで続き、話は飛びますが、同じ神奈川県内で起きた三年前の「津久井やまゆり園19人殺人事件」をおこしたという事は間違いありません。
 やまゆり園と聞かれて不思議に思われる方が多いかもしれませんが、ひまわり事件も、やまゆり事件も原因は同じと断言できます。事件の「出火元」が全く同種、被疑者も同じ(職員以上に内実に明るい元職員で内情に詳しいから)です。
 行政、警察、検察、裁判所も同じ管轄であり、加えて事件現場は「天下りされた公務員が実質的に経営する」障害者ケアー施設。経営幹部は「補助金施設としてあるまじきことをしている」疑いが濃厚です。
 手元にあったやまゆり事件の新聞記事のコピー(下)をご参照下さい。

植松被告は被害者の尊厳を守った義勇の人です。
天網にすくい上げられるでしょう。

以下の記事に続きます。
ハイムひまわり放火焼死事件秘話 Ⅱ – 聖音会の陰謀を暗示する14の事実
ハイムひまわり放火焼死事件秘話 Ⅲ – 終わりに